土屋作庭所通信

平成31年新春号

2019年05月25日

土屋作庭所通信 平成31年新春号

建仁寺両足院の庭園を見て

昨年の初夏に京都建仁寺両足院(りょうそくいん)の特別拝観に行って参りました。一時期、お寺の庭園をよく見に行った時がありましたが、最近はご無沙汰です。ところが、たまたまでしょうか、全く別の二つの方面から両足院のことを聞いて、これも何かの御縁かと思い出かけました。この庭の池の縁には半夏生が群生しており、見頃の初夏に特別拝観で公開しているのです。私が庭を見に行く時はまず、純粋なお客さん、鑑賞者として庭を見る、というか庭を感じようと心掛けます。そして、その庭が良かったり、なんでもなかったり、ひどかったりするのですが、次に、では何故そう感じたのかを一応専門家として考えます。石の使い方、木々の大きさ、配植など。この思考は個人的な感覚に基づいたものであり、必ずしも共感を得られるとは言えないのですが、今回、両足院で感じ、考えたことを記します。

まずは方丈の南側にある南庭です。ここは一面苔で覆われた平庭で大きな松が二本ほど植えられています。禅宗寺院の方丈南庭は白川砂の庭が多く、ここは白川砂ではないものの、造作のない平庭はやはり禅宗の庭なのだなと感じさせるものがあります。ただ、なんだかモヤっとしてスッキリしません。シンプルなのにすきっとしていない。それはたぶん、この平庭に松があっていないのではないかと考えます。この南庭の見所はきっと平庭なのです。水平の広さが魅力なのですが、この松はその広さを生かすようにはなっていない。松は松として存在しており、平庭と共存関係になっていない。そう思いました。          

さて、方丈を東に進み、南東の角を曲がると東側に広大な庭が出現します。方丈の南側は書院につながっていて、庭は方丈書院と続くため長さ50mもあるでしょうか。奥行きも20mはたっぷりあります。中央には星型のような池があり、池の縁には評判の半夏生が群生しています。庭の奥側、つまり東側の地面は盛り上がり高くなっているのですが、一様な斜面ではなく、丘あり谷ありで地形は変化に富んでいます。そして、奥には巨木と言って良いほどの木が多く茂っています。第一印象はとにかく緑豊かな庭だなぁということです。6月末ですから、緑が一番濃くなっている時期かもしれません。また、小雨の日で緑がより一層映える時でもありました。でも、このたくさんの緑が迫ってくる様に見えるのはそれだけではありません。変化に富んだ地形、低いところは池からはるかに高い高木まで、緑が多様な形で存在しているためだと思われます。そしてこの池というものは大変に難しいものだと私は思っているのですが、ここでは成功しています。ともすると池はただのため池になってしまうのですが、ここの池は十文字型のように変化のある汀で広さがなく、池というよりは変化のある地形の一部のように思えます。池の際に群生している半夏生がただでさえ広くない池を更に隠しているようで、庭で一番低いところを池でまとめたといった具合です。そして、この変化のある緑の中に石も多くあることに気付きます。石は多くの場合、庭の主役になります。その存在感は移ろいゆく緑に比べてはるかに強いものです。ですから、庭に強さが求められる時に作庭者から主役の座を与えられることも多いのですが、この庭で石はどう見ても主役ではありません。そして、よくよく見てみるとその据え方はどうも腑に落ちないものが多くあります。最初からそうであったかはわかりません。作庭は江戸の中期ということですから長い年月のうちに土が流れたりしてだいぶ変化している可能性はあります。しかし、現時点では「アレッ」と思わせる石もあるのですが、緑に囲まれた石は存在が小さくなっていて気にならないのです。この庭はとにかく緑の庭なのです。それを象徴するのは高木の存在でしょうか。

少し話が逸れますが私は現代の庭は一代限りと思っています。核家族が当たり前になっている現代の家では庭も一代限りと考えたほうが健康的です。一方で、長年続く庭の貴重さも感じています。それがわかりやすく見えるのが木の大きさです。一代では成し得ない大きな木の存在は時間を感じさせますが、この両足院の高木がまさにそうです。その茂り具合、大きさ、存在感はいずれも素晴らしいもので、これを適切に評価する言葉を私は持ち合わせておりません。

庭の北端には茶室があり、ここで抹茶もいただけます。この茶室は近代に庭を削って作られたそうで、確かに書院側から見ると茶室周辺は箱庭的になっていて、目を向けたくない存在になっているのですが、茶室側から見る庭は悪くありません。少し高い位置にあり、障子を開け放った部屋から庭を見下ろす気分は殿様感覚です。これだけの広い庭が綺麗に整備されている様が見てとれます。長い年月の間にいったいどれだけの人がこの庭に汗してきたことか。その庭を私は抹茶を飲みながら一望致しました。庭とはなんと贅沢なものかとしみじみ感じたことです。

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