土屋作庭所通信

令和二年夏号(令和3号)

2021年01月01日

土屋作庭所通信 令和二年夏号(令和3号)

桂離宮

語りやすい庭と語りにくい庭

前回(令和2号)で修学院離宮について記しました。修学院離宮は「表現が素直で頗る風景的であるから、多くの人にわかりやすく愛され易い」(森蘊先生)庭園です。ただ、その良さを言葉で説明しようとすると難しく、「広々として気持ちが良い」とか「自然な感じがいいね」とか、感覚的な話になってしまい具体的に上手に説明できません。修学院離宮の最大の見所は前号でもお伝えしたように浴龍池に浮かべた舟から見る水面、生垣そして大空ではないかと私は思っています。もっとも、この池で舟に乗ったことのない私はその景色を見たことはありませんけれど。ただ、それ以外の見所は漠然としてどうも説明しにくい庭です。それで、今号ではその語りにくい庭を説明するために、対比として反対に語り易い庭、桂離宮を取り上げて語りやすさ、にくさをもう少し深めていきます。

桂離宮

日本で一番有名な庭といえるかもしれません。作庭時期は修学院離宮と同じ江戸初期で、細かく言えば桂離宮の方が創建は早く、完成は遅いということになります。これは桂離宮が智人親王、智忠親王の二代に渡って作られたことによります。智人親王の時代に一度完成はされていますが、その後智忠親王により大幅な改造が行われてほぼ現在の形になりました。(宮内庁資料) 私が初めて桂離宮を見たのは十年以上前のことです。大いなる期待を持って出かけたのですが、その印象は必ずしも良いものではありませんでした。一言で言うならば庭ではなく公園になってしまっていると感じたからです。人数が限られているとはいえ毎日多くの人が来ますので庭を守るために歩行箇所は限定され、そのための細工も施されます。その細工も気になりますし、歩行を許された部分はどうしても荒れてきます。これは仕方がないことなのですが、庭は本来私的なものだと私は思っており、そこに来られるのは限られた特別な人であるべきなのです。プライヴェートな感覚を味わうことも庭の楽しみの一つといえますが、その時には特別な感じはありませんでした。多くの拝観者の一人としてここに来られる幸運に感謝しつつも、庭を楽しむ環境ではないと思ったのです。この度再訪しようと思い立ったのですが、庭を味わい、楽しむという期待はせずに、桂の庭をただ目に納めてこようと考えていました。それが、嬉しい誤算で今回はとても楽しかったのです。訪問直前が悪天候でもあったためか同行者がとても少なかったことが大きいと思われます。それと、歩行を許された箇所もとても綺麗で、細工はあるもののほとんど気にならなかったのです。管理方法が十年前と変わったのか、それともこちらの目が変わったのかはわかりませんが、雨上がりの庭を楽しく散策してまいりました。 さて、では桂離宮とはどんなところなのでしょうか。一言で言えばここは月を楽しむためにつくられた場所なのです。建物は月の昇る向き、ほぼ東向きに建てられ、その前に池があります。この池は月の出の方向に長く、途中には島があります。その長くなっている向こう岸は高さ6mほどの築山になっていて、風情のある茅葺の茶室(松琴亭)も見えます。その築山の上に月が出れば、月光は途中に浮かぶ島のある水面を照らします。茅葺の茶室や多くの緑はその風情を高め、さぞかし良いけしきとなるでしょう。そして、月が満天に昇れば今度は池に映る月を見るために池際の高い位置にも建物(月波楼)が用意されています。また、桂離宮は月を楽しむだけの場所ではありません。秋の紅葉もあり、庭園内を舟で、あるいは歩いてまわる事もできます。その景色も変化に富んでおり、天の橋立を見立てたところあり、南国を思わせる蘇鉄山あり。園内にあるいくつかの建物も納涼のため、あるいは深山幽邃を楽しむためのものなど、とにかく全てが工夫に富んでいます。細かい意匠も多く、あられこぼしの道、切石を巧みに組み合わせた延段、オリジナルの手水鉢や灯籠の数々。これらは庭に限ったことですから建築的な工夫もあげれば本当に数え切れないほどの数になります。この並々ならぬ工夫の数々が桂離宮の特徴です。この工夫を一々言葉で説明するとウンザリしてきますが、現実の桂離宮は、これが演出過多にならずに美として感じられるところがすごいところです。ここが大事なところで、工夫も過ぎると何でもいやらしくなるものですがそうは感じられません。違和感を感じさせるものがなく、目が止まるところがないのが素晴らしいのではないでしょうか。 今回は楽しい訪問であったと先に述べましたが、私にはこの工夫がとても楽しかったのです。一参観者でありながら、雨上がりの静かな庭を招待客のような気分でまわると、一つ一つの工夫が私を歓迎してくれているように感じたのです。どの工夫一つをとっても簡単に成せるものでないことは私にもわかります。その多大な労力、もっと言えばその多大な労力を厭わずにことをなそうとしたその思いを幸福な気持ちで受け取ることができました。

外向きの庭と内向きの庭

桂離宮は前述のように話題満載で語るところは山ほどあります。そしてそれは誰のための庭かと考えると来客用の庭であり、数々の工夫は来賓を喜ばせるための装置ではないかと考えます。もちろんこの主もこの庭の工夫を楽しむことはできます。たとえ一人でもその庭をしみじみと味わうことはできますが、この庭はきっと複数の方が楽しいはずです。話題の種は尽きません。月の出から深夜まで、来賓は多くの歓迎を幸福な気持ちで受け取り楽しい時を過ごすでしょう。さて、一方で語りにくい修学院離宮の庭はどうでしょう。これを自宅向きの庭と考えることはできないでしょうか。もちろん迎賓のための心配りは多くあります。でも、自然風の景色は言葉なくとも、心に落ち着きと安心を与えてくれます。説明する必要もない。ただ、ボーッと見ているだけで良いのです。 外向きで語ることの多い桂離宮、一方で内向きで語りにくい、そして語る必要のない修学院離宮。両者あるゆえに、その特徴をより深く理解できるのではないかと私は思いました。

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