土屋作庭所通信

令和元年初夏号

2019年10月25日

土屋作庭所通信 令和元年初夏号

加藤周一「日本の庭」との出会い

「怖そうな人だな」という印象しか加藤周一については持っていませんでした。よく見かける写真は何かを睨み、洞察している顔で、単にこの顔が怖いというだけのことでした。知人から加藤周一の「日本の庭」を勧められて読んだところ、学ぶこと非常に多く、その後、庭について思いを巡らすことがとても多くなりました。これまでの不勉強を恥じる一方で、今この出会いに感謝し、そこから想起される私の思いをこの場で記していくことに致します。

「日本の庭」は加藤周一が31歳の時に書かれたもので、「加藤の日本文化論の出発点と位置づけられる著作」(加藤周一1自選集、解説、鷲洲力)とのこと。西芳寺、修学院離宮、仙洞御所、龍安寺、桂離宮について書かれています。この中で私がまだ訪ねたことのないのは仙洞御所で、この度思い立って仙洞御所を訪ねてきました。まずはその報告です。

仙洞御所

庭を見に行く前にその庭がどんな庭であるか調べたほうが良いのか?あるいは予備知識なしで見たほうが良いのか?例えば一回限りで報告書でも書かねばならぬという状況であれば、大事なところを見落とさぬよう予習は必要です。しかし、今回限りとも言えず、気楽な物見遊山であれば下調べなしもまた一興であり、今回私はその方でいきました。小堀遠州が何かしら作庭に携わったらしいという史実。それと加藤周一の仙洞御所評だけを頭に入れて五月連休後に訪れました。ここで加藤周一の言葉を引用します。「芝生に蔽われた島の裾がなだらかに延びて水際に到る曲線に、その作者がおどろくべきふくらみを与えたということはたしかである。作者はいかなる形にも山を築きえたはずであり、おそらくあり得る無限の曲線のなかからただ一つを選んで、そこに示すことができた。・・・その唯一の曲線を、仙洞御所の作者はつくりだすことができ、修学院離宮の作者はつくりだすことができなかったのである。」この記述は意外でした。江戸期の作庭で話題になるのは桂離宮、修学院離宮、狐篷庵が多く仙洞御所の話題はなぜか少ない。それを有名どころの修学院離宮と対比して特徴を述べている。修学院離宮は広大な敷地に作られた大庭園で、一言で言えば自然そのものの庭です。その庭と対比して今まで少なくとも私が聞いたことのない仙洞御所評は見学前の私に大きな期待をもたせてくれました。

30人ほどの見学者と同行。中に入ってまずは緑のボリュームに圧倒されました。京都市街にあって京都御苑は緑の宝庫といえますが、更にその中の御所庭園は緑がまた一段と深い。大きな池もあり空気がしっとりしていて、見渡す限り緑が続く。この緑はどこまでも続くようで、その向こうに京都市街があることはわかってはいても俄かに信じ難くなるほど落ち着いた時が流れています。案内の方が要所要所で丁寧に説明してくださる。せかされるペースではないけれど、のんびりもできません。歩きながら思ったことは非常に造形に富んだ庭であるということ。広大な庭は緑や土手で巧みに視界をさえぎられ、全てを俯瞰できないようになっている。例えば最初にまず大きな池に迎えられる。十分な広さを持った池は周囲を深い緑で覆われて深山の風情が漂っている。少し歩くと小径に入り池は見えなくなり、その反対側に小さな景色が広がる。また、森に入って少し歩くと今度は立派な石橋が見えてくるといった具合です。次々と新しい景色が現れて飽きることはありませんが、逆に元の景色に戻ることはできません。先ほどの大きな池はどこにいったのかと言えば、小径の土手の向こう側にあるはずなのですが、通路から見ることはできない。通り過ぎてしまえば振り返っても前の景色に出会うことはできないのです。大変巧みに作られているので、見落とさないように見ようと思うと大変に忙しく、そして次々と新しい景色に遭遇するうちにだんだんとそれが無理な努力だということがわかってきます。可能であればあちらこちらにしばし留まり、その場を感じてみたいのですが、それは叶わない。次第に全てを見ておきたいという気持ちが薄れてきて、当初の目的である加藤周一が語る「芝生に覆われた島の裾」、これだけは見落とすまいという気持ちで先導者についていると、どうやらそれらしい景色が現れました。水際の曲線は緩やかで、たおやかな盛り土はとても優雅です。「その作者がおどろくべきふくらみを与えた」のはここだと確信しました。しかしながら、どうも印象が弱い。その線は確かにきれいだけれど「おどろくべき」とまでは思いませんでした。この時、私の感覚は次々と現れる景色、造形的な景色に慣らされていて、既に満腹気味。この優雅さを味わう感覚になっていなかったのかもしれません。刺激の強い食べ物の後で、薄味の妙がわからぬが如きに。

後日、調べたところ現在の仙洞御所は小堀遠州が作った当初の庭とは広さ、池の形もほぼ別物と言えるほど変わっていることがわかりました。当初の姿がわずかに残されたのは「芝生に覆われた島の裾」だけとも言えそうです。それを知って少し合点がいきました。後世に作られた造形的な庭にくらべると当初の庭は弱く見えるかもしれない。しかし、全てをその弱い調子でまとめられた庭はとても優雅で、繊細な美しさを持った庭であったに違いないと。再訪する機会があれば今度はそこだけを見に行こうと。

庭の味わい

庭の見方は人それぞれであると思います。一瞬で判断する方もみえます。私の場合少し時間が必要なようですが、その見方は庭に何を求めるかでも変わってきます。作品として評価するのか、安らぎや癒しを求めるのか。私は作品としても見ますが、出来るならその場にいることを楽しみたい。その場に居たいと思えるかどうか。そして、いつまでもそこに居たいと思える庭が好みです。仙洞御所は幾つもの異なるタイプの庭の集合体でした。その組み合わせの巧みさには敬服しましたが、その一つ一つを味わうには時間が足りなかった。これが今回の一番率直な感想でしょうか。

次号は今一度、修学院離宮を見てまた記していくことにします。

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